あなたも自分の卒業文集に「将来の夢」を書いた覚えがありませんか?
「お医者さん」や「パイロット」、「お花屋さん」や「ケーキ屋さん」など、その頃に憧れていた職業について書いた覚えのある方が多いと思います。
最近の子どもたちに、将来なりたい職業を聞くと面白い返答をもらうことがあります。
「お花屋さん(仮)」や「今のところはパティシエ」など、どうしてもこうなりたいというよりもまだ何になりたいというところまで考えていないように見受けられます。
いろんな可能性を考えているという良い傾向なのかもしれません。
小学生のうちは、それでも十分だと思います。ですが、中学生や高校生になるにつれ、具体的な「将来の夢」を思い描いていない子どもが増えているのです。
将来の選択肢を増やすためにいい学校へ進学するの?
教育ボランティアの仕事で、中学生と高校生数名のパネルディスカッションを含む研修会に参加した時のことです。
その子どもたちに将来の夢を聞くと、「人のためになることをしたい」などの漠然とした目標はあるものの、具体的な「夢」を感じることはできませんでした。
その子どもたちは皆、「今は具体的な夢はないが、その目標ができたときに選択できるようにいい学校、いい大学に入学したいです」と言っていました。
賢いと感心すると同時に、なぜかさみしい気持ちになってしまいました。
最近の子どもたちは、どうして具体的な「夢」を持てなくなってしまったのでしょう?
親の期待に応えようとする子ども
先にお話ししたように、「選択肢を増やすためにいい学校へ進学したい」という子どもは、とても賢い子どもだといえます。とても無難な考え方です。
ですが、このような無難な考え方を、子ども自らすることはなかなか考えにくいことです。
それは、親や塾などの大人の教えの影響を大きく受けていると思われます。
小さいときから「いい学校に入ればいろんなことができるようになるよ」、または「いい学校を卒業できないと希望する就職ができない」などと教えられていると、素直な子どもたちはその言葉を信じ、いい学校へ進学すること事が「夢」だと誤解するようになります。
ましてや、子どもは皆親に褒められることに喜びを感じます。
希望の学校に入ることが、子ども自身の希望なのか?親を喜ばせたいから頑張るのか?進学塾に通っている子どもにはしっかりと聞いてみたいことです。
そして、その進学という「夢」が実現すると、その先の目標を失い、結果的にはたくさんあると信じていた選択肢の中から、自分の「将来の夢」を選ばなくてはならなくなるのです。
「なりたいからそのための大学へ行く」のではなく、「なりたいものを選ぶためにより選択肢のある大学へ行く」ことになります。
伏線を用意する親
子どもが失敗しないように、または自分のように後悔しないように、子どもにはたくさんの伏線を張っていく親が多くいらっしゃいます。
小学生の家庭科の授業で、野菜を持ってくるように指示すると、調理しやすいように皮を剥いて持参させる方がいらっしゃいます。
これではその子どもは自分で皮を剥くことができません。(最近ではヘリコプターペアレントなんて呼ばれ方もしますね)
包丁を使って皮を剥くことが、子どもには危険だと思われたのでしょう。
でもこれでは練習することもできません。
別の例で、バス旅行の説明会でのことです。
「車に酔う可能性があるお子さんはいらっしゃいますか?」と親に聞くと、おどろくほど手を挙げる方がいます。
もちろん、本当に酔ってしまう子どももいますが、その割に、友達同士楽しく話していることで酔いを感じない子どもも多くいるのです。
子どもを心配しない親なんていません。ましてや、失敗して辛い思いをしてほしいなんて思うはずがありません。
なるべく失敗がないように、伏線を用意する親がたくさんいます。
子どもが歩く前にいつも先回りして障害になりそうなものを除いていくようなものです。
でも、転んでみないと起き上がり方がわからないような気がしませんか?
将来の夢を語れる子どもに育てるために
かくいう我が子にも具体的な「将来の夢」はまだないようです。
焦って「夢」を決めなくてもいいと思うのですが、もし、その「夢」が見つかった時には応援をしようと思います。
自分で「将来の夢」を見つけることができるよう、あまり伏線を張らずにいたい。
私が整備した道ではなく、子どもが自分で決めた道を行けるようにしたいものです。