家庭教育で子どもの能力を伸ばすには?「出来る範囲で」が基準となる理由

近頃、「私はこのようにして、わが子を○○大学に合格させた」といったタイトルの本がよく売れているようです。

本を読んだことがなくても、著者の方がテレビ出演するなど知名度もアップしていますので、関心を持たれている親御さんも多いのではないでしょうか。

ところで、こうした方々は強い意志と、揺るぎない信念を持って、行動を積み重ねて来られた方です。

そうした「ぶれない」姿に共感を抱く人が「私もあんな風に、わが子を東大に導きたい」、「ああすれば、うちの子もアメリカのアイビーリーグ校に入学できるかも」、などと思うのは無理もないことでしょう。

しかし、本当にそうした著者の真似をすれば、ご自身のお子さんを有名大学に入学させられるのでしょうか?

お手本を真似しても基本的には何も起こらない理由

はじめにお伝えしておきますが、筆者はロールモデル(お手本)を真似ることで同等のリターンを得られることなどほぼあり得ないと考えます。

ロールモデルを真似るという考え方はビジネスの世界でもよく使われています。

「コンピテンシー」という用語でよく語られますが、これは「業務遂行能力の高い人物(ハイパフォーマー)に共通する行動特性」という意味で、ハイパフォーマーの行動を真似れば、同じような業績を残すことが出来るという理屈から、それを促す人事評価や採用面接が企業で盛んに行なわれています。

しかしこうしたコンピテンシー評価を始めた企業が、いきなり業績を急上昇させたという話は聞いたことがありません。

お手本を真似することだけではマイナス効果が出てくる

ロールモデルとなったハイパフォーマーと同等の実績を残す人も中には居るかもしれませんが、逆に自分に合わないやり方を強要されて、モチベーションをなくし、以前よりもマイナス効果となってしまう人も居るかもしれません。

同じOSのパソコンにソフトウエアをコピーするわけではありませんから、そうそう上手くいくものでもないと、企業側も承知の上でやっているのです。

では、なぜそんな没個性的な施策を打つのか?

それはある程度型に嵌めることに効果があるからです。

無から何かを創り出すことは本当にむずかしいのですが、何かの真似から始めると、意外にそこから斬新で自分に合った発想が生まれやすくなるのです。

真似をすることで得られる効果は予想できない

このように真似や模倣には一定の効果がありますので、子育てにおいても効果が期待できるかも知れません。

ただしビジネスでは「仕事のやり方」という、分野が特定された中での真似であるのに対し、幼児教育においては効果の程が予想が出来ません。

シュタイナー教育とは

ほとんどの親がお手本を真似できない理由はこれ!

ここで改めて確認しますが、皆さんは天才児養成幼児教育をなされた方の著書や、関連する記事、メディアで紹介された「やり方」「努力」を本当に同じように実践できますか?

多分ほとんどの皆さんが「到底無理」とおっしゃるのではないかと予想します。

例えば、幼児教育には「読み聞かせが良い」と言われますが、どういった類の絵本がよいのか?自分で吟味するだけでも大変です。

「お薦めの本」が紹介されていても、それがわが子に合うかどうか?

もし合わなければ次はどんな本が良いか?

多くの絵本作家の特徴を勉強してわが子に最適な一冊を選ぶというだけで何日もかかります。

親の生活をすべて捧げる覚悟が必要

また「小さいうちは自然に十分親しませることが大事」などもよく耳にしますが、首都圏ではそんな場所は滅多にないでしょう。

近所に自然公園でもあればまだラッキーですが、そこに日参して、子どもが昆虫や植物に興味を持つまで一緒に付き合えますか?

本やテレビでは「うちの子はよく~をさせました」と軽く語っていても、それを実行する労力はいかほどか?

おそらく自らの生活を100%子どもに捧げるくらいの覚悟がないと務まらないと思いますが、いかがでしょうか?

統計に騙されることなかれ

「超一流になるのは才能か努力か?」(アンダース エリクソン 著)というベストセラー本があります。

この中で「一流になるには練習すること以外にない」ということが、様々な分野のトップ人材を取材し、実例をふんだんに盛り込みながら説明されている部分があります。

特に「限界的練習」(気分よく練習できる線を少しハミ出すくらいの負荷がかかる練習のこと)についての著述のくだりはとても興味深い内容でした。

さて、この本の中で、ドイツのさる音楽大学でバイオリンを専攻する学生の練習時間を調査したという箇所がありました。

バイオリン専攻の学生のレベルは3段階あるのですが、練習量が一番多かったのは一番上のレベルの学生。

次いで2番目、一番少なかったのは一番下のレベルの学生だったという調査結果でした。

ここから帰納的に推測すると「天才なんていない!一流の人は他よりも多く練習をしているのだ!」ということになります。

著者は著名な心理学研究者で大学教授。

この分野では第一人者とされ、多くのメディアでも紹介されているのですが、その彼が「訓練さえ積めば天才になれる!」と言っているのだから、「やり方次第で天才は育てられる」と我々が考えるのも無理はないことです。

しかし、実はこの調査における練習時間というのは「クラスの平均」であり、個人別の時間数は出ていないのです。

思うに個人別に調査すれば、ほとんど練習をしなくてもトップに居る人や、クラス平均の倍近く練習してやっとトップのクラスを維持している人など、様々な学生が居ると想像できます。

つまり一概に「トップクラスは練習量も多い」とは言えないのではないでしょうか。

あるいは素晴らしい天賦の才を持った学生を見て、指導者が「これはものになる」と、その学生にたくさん練習を課したのかもしれません。

そうした人は「才能+努力」の相乗効果で抜きん出ることが出来るはずで、クラスの練習量の平均値も上げることになります。

統計はサンプル数が少なければ誤差が大きくなります。

ひとつの音楽大での調査にどれだけ信憑性があるのかを我々読者も少し考える必要があるのかもしれません。

習い事一つでも数字に惑わされる

東大の合格者数は毎年約3000人です。

たとえば、合格者の中のとある親が「うちの子は小さいころからバイオリンを習わせていました」と発言したとします。

すると「うちもバイオリンを習わせたら学力も上がるかも」と思う方が一定数はいるはずです。

でも、これは3000人の合格者の中の1つの例に過ぎませんし、不合格者の中にもバイオリンを習っていた人はいるでしょう。

このように一見科学的に見える話にも裏があったりするものです。

バイオリンを習うのは、少し冷静になって考えてから判断しても良さそうです。

究極的には「天才は努力か遺伝か」

「天才」とは持って生まれた才能が他よりも秀でていると解釈しますと、そういう意味ではある程度は遺伝で決まるということになります。

巷では「成功を手にするのに必要なものは天性の才能ではなく努力と環境である」という論調の方が若干優位のようですが、一方で遺伝による影響の強さを訴えるものもかなり増えてきています。

例えば身長などは遺伝的な要素が90%を超えるというのはよく知られています。

実際、学力は50%以上が遺伝で、家庭での教育は10数%しか影響を与えないという説もあります。

もしこの説が真実ならば、本棚に並んでいる読み聞かせ用の絵本も、高価だった知育玩具も、まさに無用の長物だったことになってしまいます。

つまり遺伝優位説は「家庭では天才を育むことは難しい」と結論付けます。

ただ、何も天才を育てなくても、持って生まれた才能をブラッシュアップすることではダメなのでしょうか?

モチベーションを上げて、いつまでもお子さんに意欲を持たせ続けることこそが、家庭で親が出来る最高の教育なのかもしれません。

100mを11秒で走る能力を持って生まれて来た子どもは、オリンピック100m競走で金メダルは獲れません。

金メダルは10秒を切るタイムで走れる能力を持って生まれてきた天才が、その後の血のにじむような努力で0.01秒を短縮することでようやく手が届くといったものです。

しかし金メダルを獲ることだけが子どもの幸せではありません。

たとえ県大会でも、そこに出場するために積んできた努力は将来生きてくるはずなのです。

成績が伸びる子伸びない子

家庭教育で子どもの能力を伸ばす

結局のところ親は、子どもが持って生まれた才能を余すところなく発揮させてあげることしかできないし、出し切らせてあげるのが本来の家庭教育なのではないでしょうか。

天才を育てることは子育ての究極的な目的ではないのです。

東大に行ける能力を持っていたのなら、きっちりと東大に送り込んであげられること。もしそこまでの学力がなければ、その子に合った学力の学校には合格できるように仕向けてあげること。

それこそが家庭で出来る最上の教育ではないかと思います。

ただし、自分の子どもにどれほどの才能があるかなんて誰にも見抜けませんから、子どもが何かそうした才能の片鱗を見せたときに、それを見逃さないようにして、その時々に出来る範囲で対応してあげることが大切です。

親も子も疲弊しないように「できる範囲で」というのが良い基準ではないかと考えます。

本を出したり、テレビに出演されている方は、あくまで「レアケース」と考えればいいのではないでしょうか。