幼児期の英語教育や小学校からの英語の必修化など、 英語教育はますます盛んになってきました。
実際に大人になり、社会で求められる英語力とはどのようなものなのでしょうか。
またお子さんにどのような英語教育をすることが役に立つのか、みていきましょう。
目次
ビジネスにおけるTOEICの評価
まず、ビジネスの現場で「英語」といえば何と言ってもTOEICでしょう。
就職活動ではもはや必須アイテムです。
TOEICは(日本では)年10回、全国約80都市で実施される非英語圏の人を対象にした英語テストです。
世界で毎年約250万人が受験すると言われています。
TOEICの点数は勉強次第
現在、企業で英語力採用をするとなると、応募資格で「TOEIC○○点以上」という条件を課すことが多いのですが、実際にはTOEICの得点だけでは、その人の本当の英語力は測れません。
たとえ900点を取るような人でも、中にはまったく喋れない人も居るくらいで、近頃は「TOEICは就職試験を突破するための単なる道具」と割り切る就活生も多いと聞きます。
こうした中、企業のTOEIC信奉に警鐘を鳴らす人も多く、その批判の矛先は「テスト自体が型に嵌まっていて対策が立てやすい」という点に向けられているようです。
確かに書店に行けばTOEIC対策の参考書が所狭しと並んでいますね。
確かに的確な対策を講じれば実力に加えて、100点以上のプラスαが見込めるとも言われます。
TOEICでは計れない力
これは受けたことがある方は当然ご存知だと思いますが、TOEICのテストはリスニングとリーディングだけです。
英語力を形成する4要素の残りの2つ、ライティングとスピーキングのテストはありません。
つまり英語のインプット能力は測れるけれど、アウトプット能力は測れないということです。
これは長年指摘され続けた日本の英語教育の反省点と奇しくも一致します。
こうして見ると、企業がTOEICだけで英語力採用をすることはまずあり得ないと思ってよいかもしれません。
英語の資格としてはほかにも英検やTOEFLなどがありますが、例えばTOEFLなどは海外留学を目指す学生などに向け、英語の授業を受け得る能力があるかどうかを判定するテストで、ライティングやスピーキングの考査も含まれています。
TOEFLで高得点を取れる方は英語力が高いのは間違いないので、これを採用条件として認める企業もありますが、元々が教育現場を想定した問題のため、ビジネス英語としては必ずしも適しているとは言えません。
TOEICがビジネスで評価される理由
では、なぜライティングとスピーキングのないTOEICを企業は採用時の判断として使い続けるのでしょうか。
必要とされる英語のレベルは業務によっても違ってきますが、例えば海外の取引先とネゴシエイトする場合と定型文でメールのやり取りをする場合とでは求められる英語力に大きな違いがあります。
ネゴシエイトをする人材を求めているような企業は、履歴書に記載されたTOEICの点数だけで採用はしないはずですし、逆に簡単なメールのやり取りだけであれば、TOEICが500~600点でも採用することもあるでしょう(もっともこの場合は英語力採用ではないでしょうが)。
ただ、より高度な英語力を求める企業なら、面接の場で英語力を試される可能性が高くなります。
つまり企業にとってはTOEICの得点はひとつの基準なのです。
「○点以上なら採用」といった短絡的な結論は出さないでしょうが、その一方で「TOEICでこれだけ取れていれば英語スキルの伸びしろは大きいだろう」という判断をすることもできるわけです。
TOEICがこれだけビジネス界に普及している以上、これを意図的に無視するのは却って企業にとってマイナスになりますので、自社のスタンスに合わせて、TOEICをうまく使いこなすように変化してきているのです。
日本人が越えられない英語の壁
あるアメリカ駐在員の話
以前、10年近く海外駐在をしていた人から聞いた話で、衝撃を受けたことがありました。
その人はアメリカの大都市に家族と一緒に赴任し、現地の会社でもマネージャーとしてアメリカ人の部下を率いていたのですが、日本に帰国してから「所詮自分は非ネイティブで英語力では全然通用しなかった」と洩らしていたのです。
その人がアメリカ人の顧客と話をするのを脇で聞いていたことがありますが、発音も素晴らしく、どちらがネイティブだか判らないくらいでしたから、なぜ自らを卑下するような発言をするのか不思議でなりませんでした。
ネイティブに及ばないのはライティング力
聞いたところでは、非ネイティブがネイティブと比較して特に及ばないのはライティングなのだそうです。
商品の宣伝コピーや企業のアピール発信などを書いて現地法人に送ると、現地社員に手直しをされてしまうのだそうです。
消費者に訴えかけるような文章を書くには、ネイティブでないと思いつかないような単語や言い回しを用いる必要があり、その人が書くとどうしても表現が陳腐になってしまうと言います。
元々現地法人ではボスの立場でしたが、その点については非ネイティブの弱さを認め、ネイティブの社員に任せているとのとこでした。
この例からも分かるように、日本人がネイティブレベルになるというのは相当厳しいと思われます。
遅滞なく英語で会話が出来れば「この人スゴイ!」となるかも知れませんが、実を言うと英語はもっと深いもののようです。
少しの留学程度では「本当の英語力」は身につかない
もしかしたら「私は英語がペラペラです」なんて言っている人の大半は、ネイティブからしたら「それは言い過ぎでは?」というレベルなのかもしれません。
ちょっと留学したくらいで、または数年駐在して仕事をしたくらいでは本当の英語力は身につかないようです。
幼少期の英語教育で親が考えておくべきこと
本当の英語力を習得するのは日本人にとって相当厳しいということを念頭に、私たちの周囲で行なわれている英語教育に目を向けてみていきましょう。
言語(英語)は単なる伝達ツールではない
幼児期からお子さんに英語を習わせている方、また過去に習わせたことがある方は非常に多いのではないでしょうか。
幼少からの英語の習得については本当に賛否が分かれるところです。
しかし「特定の言語が話せればよい」という短絡的な考えには違和感を覚えます。
言語は文化であり、習慣であり、思考ツールであるので、そういう意味で言えば「母国はひとつ」であって、複数の母国は通常は持ちえないのです。
日本に住んでいても、周りが英語を使う環境に長時間幼児を置いておけば、その子は英語が堪能になるでしょう。
やり方次第ではネイティブのように「ペラペラ」にすることも可能なはずです。
周りに外国人しかおらず、その外国人の常識や習慣の中で幼少から生活をしてきたのなら、日本的な情緒とか、ものの考え方が出来ないのは当然のこと。やはり一緒に過ごす人の影響は甚大なのです。
まずは「日本語ネイティブ」であることが大切
日本にあるインターナショナル・スクールにわが子を通わせるのが流行したことがあります。
小学校に8時に登校して5時に帰宅するとして、睡眠時間を考慮すると、一緒に過ごす時間が長いのは家族より学校の教師や友達、つまり外国人になります。
物事を考えるのに英語で考えるようになれば、もう立派な外国人です。
しかし(例えば日本にあるアメリカ人学校に通わせた場合)その子はアメリカ人なのにアメリカに住んでいません。
アメリカの歴史や文化を肌で感じることも難しく、本当にわずかな人数のアメリカ人のコミュニティ内だけでのアメリカ人です。
かといって日本人とも言えず日本に住んでいても日本人と接触する時間が極端に短く、相手も家族くらいに限られますので、日本人に戻ることは容易ではありません。
要するにどちらも中途半端になってしまうのです。
おそらく「英語は出来るけれど英語しか出来ない」といった人はこうした葛藤の中で正しい対応が出来ず、マイナス方向に進んでしまった人ではないでしょうか。
上記した通り「いくら英語力を磨いてもネイティブとは差がある」ということをはっきりと認識したうえで、「私は、英語は喋れるが、それはネイティブレベルではない。
ただし私は日本語ネイティブだ」という考え方がもっとも健全なのかもしれません。
もちろん世の中には突出した才能を持ち、「日本語と英語ともにネイティブである」と断言できる方もいらっしゃいますが…。
そうした才能を持ち合わせていない普通の日本人なら、まずは日本語で深い思考や円滑なコミュニケーションが出来るようにして、それから「英語」でも遅くないのかもしれません。
英語教育も大切!けれどまずは日本語をしっかりと学ぶべき
まだ若い時分であれば、英語がペラペラな人を見ると「羨ましい」という感情はもちろん、「カッコいい」とか「頭がよさそうだ」という尊敬の念すら抱きがちです。
しかし歳を重ねていくにしたがって、本当に知性が感じられる人というのは、普段の会話でも「相手に分かりやすいような表現で会話をリードしてくれる人」や「平易な会話文の中にも難しい表現をさりげなく散りばめられる人」、または「敬語が上手な人」、「ちょっと難しい漢字も難なく読み書きできる人」などに変わっていくものです。
相手の出身地を聞くとそこから話をどんどん広げられる人、マイナーな趣味の話にも付いてきてくれる人などもそうです。
逆に英語がとても出来るけど、普段の日本語の会話が支離滅裂だったり、有名な日本の地名を読めなかったりすると、英語で稼いだポイントもどんどん目減りしていくのでしょう。
もちろん英語も日本語の知的な会話も、どちらも出来れば最高ですが、日本で生活し仕事をしていく以上はやはり大前提は「日本人としての知性」を磨くことになるのではないでしょうか。