中学受験の国語について目標とすべきことは何でしょうか?
反論、違和感をもたれるでしょうが、国語学習における目標は「成績・偏差値をあげること」ではありません。
それでは何を目的とするのか。それは「国語の成績が下がらないようにすること」です。
目次
中学受験における国語の目標
後ろ向き過ぎる姿勢だと批判されそうですが、あくまでも親御さんの中でこのように意識をして頂きたいということです。
お子さんには当然、成績を上げるように頑張ってもらわなければなりません。
ただ、このように申し上げるのには当然理由があります。
それは小学生が国語の成績を上げるのはとても難しいことだからです。
成績を上げることが本来的に難しい作業であるにもかかわらず、「国語の成績をあげるためにどうすれば良いか」「国語の成績を上げなければならない」という強迫観念ももってしまうことは悪循環を招きかねません。
親子共にとってストレスフルですし、結果として学習環境の悪化という事態さえ招きかねません。まずは「国語の目標は現状維持」という程度の割り切った気持ちを持っていただくことからはじめましょう。
国語の成績が上がりにくい!?点数を取ることが難しい理由
では何故国語の成績を上げるのが難しいのか?
それは何より、小学生にとって「国語を勉強する」ということが受け入れにくいことであることが理由として挙げられます。
もちろん、漢字を書けるかどうか、四字熟語を知っているかどうか、文学作品の知識があるかどうかといった、社会に通ずるような観点の出題に関してはクリアしやすいです。
しかし、国語のメインと言えばやはり文章題、そして、文章題に対する違和感が小学生にとっての障壁となっています。
文章題に対する違和感
小学生の子供たちは、文章というものを先天的に身に付けはじめてしまっています。
そのため、国語における文章題と算数・理科・社会とでは大きな違いがあります。
国語以外の科目は、彼らの人生のある時点から、教科書などで指導されることによってその学習がスタートするものです。
これに対して、「文章=日本語」というものは、彼らが生まれた瞬間から彼らの身の周りに常に溢れているもので、彼らが明確な意識を持ちはじめるよりももっと前の段階から、本能的に習得しはじめているものです。
「教科書から学習する、先生から勉強を教えてもらう」というスタイルではない、もっと本能的な方法によって既に学習をはじめてしまっているものなのです。
この違いはかなり決定的なもので、つまり、彼らにとっては「国語=学問としての勉強対象」という感覚をどうしても持ちにくくなってしまいます。
これが子供たちが持つ文章題の違和感です。
語学としての国語と英語の違い
よりわかり易く対比できる例を挙げると、同じ語学であるはずなのに、中学生の段階からスタートする「英語」の成績を上げることは非常に簡単なことです。
これは、彼らにとっての英語が純粋に「学問」として存在するからであり、生きていく中で必須のコミュニケーションツールとして存在している訳ではないからです。
学校英語の問題点がまさにここにあると指摘することもできるのですが、他方において純粋な勉強対象として捉えることができるので、受験対策という観点から考えると非常に対策を練り易いものとなる訳です。
これに対して、国語はこのような「わりきった捉え方」をすることができないために、「勉強して成績を上げる」という作業と馴染みにくいものがあるのです。
国語を勉強するときの向き合い方
ここまでは国語の成績が上がりにくい理由を説明させていただきました。次は国語の勉強との向き合い方についてです。ポイントは2つです。
それは、
- 中学受験の国語は日本語とは別ものであると理解させる
- 文章に触れる機会を増やす
の2点です。では具体的に見ていきましょう。
1.中学受験の国語は日本語とは別ものであると理解させる
まず一つ目は、受験における国語は日常的に身の周りに溢れている日本語たちとは区別して考えるべき学習の対象なのだ、ということを都度説明し続けることです。
あるいは、そこまで説明的にならないとしても、日常生活における会話等と厳格に峻別する姿勢で臨み続けることが必要です。
よくある問題
例えば、指導者側が濫用してしまう「この主人公はどう感じたのかな?」という文句。
国語の指導において、「感じる」という観念は非常に邪魔なものです。なぜなら、子どもたちは「感じる」という言葉を聞いた瞬間に、学問として捉えるのではなく自分自身の日常的な感覚を投影するものとして反射的に捉えてしまうからです。
確かに設問においても「感じたのでしょうか?」という言い方がされることも多いですが、これを読んで字のごとく「どのように感じるのか」を考えさせてはいけません。
設問で求められるていること
ここで求められていることは、「この主人公がこの場面においてどのように感じたと『考えることができるか』ということ」です。
些細な違いに思われるかも知れませんが、このニュアンスの違いをお子さんが理解できるようになるまで、あるいは、このニュアンスの違いを体現できるようになるまで、欠かさず厳格なスタイルを指導者側が貫き続けるべきであるということです。
ちなみに、受験の国語教師の良し悪しはこの点を意識しているかどうかで簡単に判断することが出来ます。塾選びの際のポイントにして頂ければと思います。
2.文章に触れる機会を増やす
二つ目は、どこかの時点でお子さんの国語という科目に対する認識が変わるまでは、ひたすら日本語・文章題に触れる機会を増やしてやる必要があるということです。
精神年齢が向上して国語を学問として捉えることを理解したとしても、その賢さを活かすだけの素養がなければ話になりません。
国語の成績を上げつための基礎を作るにはたくさんの言葉を知っている必要がありますし、文章に対する分析力も備えている必要があります。
そして、このような力を発揮するためには、経験として獲得することをはじめた日本語に対する経験量を、絶対的に増やしておくことをどうして回避することができるでしょうか。