世の中には、学校では教わってこなかったことがいっぱい。
子ども時代に多くのことを学んできたはずなのに、学校では教えてくれなかったと感じることの方が多い気さえします。
目次
要領よく生きるとは何だろう?
もしかすると、学校生活では悪しきものだったかもしれません。
「正直に生きなさい」「真面目に丁寧に生きなさい」「何事にも一生懸命に努力しましょう」
これは、きっと何度も何度も教わってきたことかと思います。
おそらく、その対極にあるであろう「要領の良さ」。
悪く言えば「ずる賢さ」と言えるかもしれません。
しかし、大人社会ではこの「要領の良さ」がかなり大切ですよね。ご両親は、感覚的にこのことがわかるかもしれません。
今回は、学校じゃ教えてくれない生き方について、一緒に考えてみませんか?
努力は人を裏切らない?裏切る?
「頑張っていれば、必ず報われる時が来る」子どもの頃、私たちはそう習ってきました。
勉強にしろ、運動にしろ、報われない時があったとしても、あきらめずに続けていれば、必ず良い事があると子どもたちは思っています。
でも、人生って、そんないい事ばかりではありませんよね。
就きたい仕事に就けなかった、夢を諦めざるを得なかった…大人になればなるほど、不可能だった事実は増えていくものです。
なぜ学校では「努力は報われる」と教わるのか?
なぜ、学校では「努力は報われる」と習うのでしょうか。
それは、子どもたちがまだ可能性の塊で、多くの方面への伸びしろを持っているからです。
身体的にも能力的にも発達途上ですから、例えばスポーツ一つをとって見ても、成長によって身体的条件が整えば、より強くなれる可能性があります。
そういう意味では、大人はもう止まっていますからね。
子どもには可能性を追求してほしい
また、子どもの頃から諦めた人生を送って欲しくないという理由もあります。
子どもは将来の社会を担う人的資源です。
豊かな社会を維持し、発展を続けるためにも、子どもたちには可能性を追求してもらわねばなりません。
真面目に生きると損をするか、そうではないか?
授業中、必死に先生の話を聞いて板書を写し、授業態度も優秀。そんな子は、試験前になるとノートの貸し出し依頼を受けます。
断って心が狭いと思われるのは嫌なので、渋々承諾しますが、いざテストになると、ノートを貸しだした相手の方がいい点数を取っていた、なんてよくある話です。
その分かりやすいノートを貸し出さなければ、あの子はこんなにいい点数を取ることはなかった…そんな気持ちが、心の中に渦巻きませんか?
真面目に生きることは大切か?
真面目に生きると、結局は世渡り上手な人に、利用されてしまうだけなのでしょうか。
それとも、やはり実直に生きる事が大切なのでしょうか。
力を入れた仕事の手柄を、上司や同僚に横取りされる、大人ならこういう状況の方がイメージしやすいかもしれません。
しかもその成果がボーナスの査定に響いたとしたら…?
学校では教えてくれない大人社会に必要な要領の良さとは?
学校教育と社会の間に存在するギャップ
大人の世界は、成果主義です。
特にビジネスの世界では、過程はほぼ関係ありません。
結果がどうであったかが評価の対象になります。ここにまず社会と学校とのギャップがあるわけです。
限られた時間の中でどのように効率的に効果や成果をあげるのか。仕事ができる人はいつもこのことを考えています。
無駄が嫌いな効率性を考える子ども
お子さんの性格上、もともと無駄が嫌いな子や効率性を考えて物事を進める子がいます。
こういう子は、ラッキーなことに、大人社会の素地がもうすでにできているのです。
そういう子が、いわゆる、ノートを借りる子なのかもしれませんね。
真面目に取り組む子ども
そんな子ばかりではありません。
素直な子や子どもの純粋な心を持ち続けている子は、損をしやすく、努力の方向が間違っていても、真面目に努力を続けてしまいます。
学校では、それをいいところとして評価されますから、本人は気づきにくいのです。
親が教えておきたい生きる力とは
学校では教わらないからこそ、世の中の少し汚い部分は親が教えておくべきなのかもしれません。
大人になれば、成績が良い事やスポーツができる事は、ほとんど意味をなさなくなります。
どれだけ人と良好なコミュニケーションを取れるのか、どれだけ成果を上げられるのか(それが王道な方法からは離れていたとしても)、こういった「世の中をうまく渡っていく力」が何より必要となります。
「要領の良さ」もこの部類に入ると言えます。つまりは、「生きる力」なのです。
もちろん、真面目に努力することや、人に優しくすることは、人として大切なことです。
しかし、学校で習った物事だけを鵜呑みにして大人になってしまって、損をしたり、ショックを受けたりするのは、お子さん本人なのです。