家庭内で父親と母親とで、教育方針の主義主張が違う場合に、論争がおこることがあります。
子どものためにも、家庭内での教育方針は一致していなければなりません。
教育方針のずれで被害にあっているのは子ども本人と言えるでしょう。
今回は家庭内の教育方針の重要性とそれがずれた場合の問題とについて考えてみたいと思います。
目次
家庭の教育方針と子供への影響
子どもは教育方針によって成長していきます。
この場合の教育とは「学校教育」の国語・算数・理科・社会のような「教科教育」に限りません。
善悪の判断であるとか、道徳であるとか、価値判断であるとか様々なものが家庭や学校の中で意識的・無意識的に関わらず教育されています。
このとき、こうした教育方針は大人社会全体として一貫しているほうが望ましいのです。
教育方針が一環しているほうが良い理由
大人になれば、自己認識が社会の中の自分という客観的な目もありますし、価値観の多様性をある程度受け止めているものです。
しかし、子どもはまだまだ主観的な自己認識しかなく、自分対世界というものの見方をしています。
そのとき年齢が低いほど、世界のルールはわかりやすく一貫していた方が教育効果が高くなります。
ですから子どもの成長のためにも家庭内での教育方針や価値観は父母ですり合わせができていた方がよのです。
家庭での教育方針と勉強の位置づけ
ここでは話が論点を絞るために勉強について考えたいと思います。
学生の本文は勉強と良くいわれますが、ご家庭内での教育方針が無条件でそうなっているケースは珍しいといえます。
父親と母親とでは勉強に対する価値観は、きちんと話をしてすりあわせをしなければ一致するものではないからです。
親は自分の人生を基準にして子供の教育方針を決めている
勉強をしてよかった親の場合
親が勉強をしなくてもやってこれたと言う場合、子どもにそんなに勉強を強要しないでしょう。
逆に勉強をしてきて良かったと実感を持って言える親は、子どもに勉強をさせようとします。
親が自分の人生を振り返ったときに、良かった面を着目して子どもに伝えるケースは成功することが多いようです。
勉強をしなくて失敗した親の場合
しかし、親が勉強をしなくて人生を失敗したと感じていた場合に、子どもに勉強をさせるのはかなり難しいといえます。
親としては、自分の失敗経験から子どもに同じ失敗をさせないようにと教育をしますが、子どもの側から見れば親ができなかったことを子どもにやらせようとすることは、理不尽にさえ感じてしまうものです。
親が自分が勉強をしなくて失敗したと感じた場合は、いくつになっても遅くはないので、もう一度親が勉強をして、勉強をして良かったという実感を持つことが大切です。
教育方針を家庭で揃えること
父親と母親で話し合いをして意見を一致させることを勧めましたが、これは簡単なことではありません。
教育方針はそのまま家庭内での父母の力関係が反映しやすいものだからです。
また、日本の家庭では男性を立てて主な決定権は父親が持っているケースが多いと思いますが、こと教育に関しては普段から子どもに接している母親の方が自分の意見を通したくなるものです。
父親と母親の教育方針が違う場合
父親と母親の意見が食い違ったとき、教育観はそれぞれの人生観に深く根ざしているものですから、あまりにも意見がぶつかる場合には相手の人格否定にさえ踏み込みかねません。
そこで話し合いで教育観のすりあわせをするというよりは、教育の主導権をどちらが握るべきかという話にした方が良いと思います。
教育の主導権を父親、母親どちらが握るべきか?
実際に父親が働いていて母親が主婦のケースには、経済的な責任から父親に最終決定権を持たせるという判断もありますし、母親の方が子どもと接している時間が長いので、母親に主導権を預けるという判断もあります。
これはご家庭の事情、父母の性格などできめていくしかないでしょう。
教育方針に一貫性があれば子供はまっすぐ育つ
教育の主導権を決めたら、子どもに対するメッセージは父母で一貫性を持たせましょう。
こうすることによって子どもは一貫性のある価値観を受け止めまっすぐに成長できるようになります。
教育方針の重要性について
今回は教育方針という少し難しいテーマに踏み込んでみました。実際に子どもに性格の歪みやチック症などの症状が出た場合、できることは限られてしまいます。
そうした子どもと話をしていると、子どもがご家庭の教育方針のずれで苦しんでいることが良くあります。
塾に入れて成績を上げようと勉強させていても、子どもの精神が害されていくなら本末転倒ともいえます。
ご家庭のなかでの教育方針にずれがないように考えてみてください。