「中学受験は親の受験」とも言われますが、子供にももちろん自分の主張はあります。
それは年齢が上がるにしたがい強くなってきますので、そこで親との間に見解の食い違いがあれば、受験勉強の妨げにもなりかねません。
子供の意見をすべて受け入れるわけにはいきませんが、かといって何もかもはね付けていても上手くいくというものではありません。
受験勉強を滞りなく進めるためにはこうした場面での親の手綱捌きの上手い下手が問われます。
受験生の親して、子供の中学受験を成功させるためにすべきことは何なのでしょうか?
目次
子供にある程度の「誘導」はあり?なし?
家庭の中に何も指針がなければ「中学受験」への船出は出来ません。
親は子供に方向性を与えるために、ある程度の誘導をするべき出来ではないでしょうか。
低学年の場合
塾に入るのは3~4年生という例が多いですが、そのくらいの歳なら親の言うことを聞いてくれます。
この時期に親が、子供にとってふさわしいと思われる方向へわが子を誘導するのは、ある意味「あり」だと思えます。
例えば入塾をよい機会と捉えて、その際に、子供に将来を現実的なものとして意識させるのも良いかもしれません。
ただし親は自分の想いが強いほど、子供をガチガチに縛ってしまう傾向があります。
親の意向はあくまで「緩やかに」そして途中で針路変更も可能なように、うまく「あそび」を残しておくのがベストでしょう。
高学年の場合
受験期の子供の主張といえば志望校のことでしょうが、大体はその学校に憧れを持つことから始まります。
文化祭などを見に行って大いに気に入るパターンです。
であれば、文化祭や見学に連れて行く学校は、最初から「親として入学させてよい学校」のみに絞ってしまえばよいのです。
最初から選択肢が限られていれば、あとは「どうぞお好きな学校を選んでください」と子供に任せてしまっても安心です。
子供は自分の意見を主張でき、親は想定した枠内で安心できる理想の形になります。
子供は将来像を持っていても細かくは描けていない
例外はあるでしょうが、まだ10年そこそこしか生きていない子供の視線は遠い将来まで及ばないものです。
そのため、その主張や希望は、近い未来のことだけにフォーカスしてしまうことが多くなります。
自分が就職して、さらにそこで何年か働いて、家族を持って、その頃日本の社会はどうなっていて、世界情勢はどう変わってきて…という感じに将来像を描いている子供はまずは居ないはずです。
たとえ「自分が就きたい職業」に明確なイメージが出来ていて、その目標に向かって励んでいる子供がいたとしても、それは確かに将来の話ですが、その将来の一点しか見ていないのです。
親は子供の将来を見据える手助けをしよう
例えばゲームクリエーターになりたいという夢があっても、ゲーム作りは制作会社に入って、そこの社員としてやるのか、個人事業として立ち上げるのか、多くの子供は考えていないでしょう。
ゲームクリエーターになったはいいが何歳までそれが出来るのか?歳をとって感性が鈍って、自分の作るゲームが時代遅れになったらどうやって食べて行くのか?こんなことも当然想定しているはずはありません。
でも親はそこまで考えてあげなくてはならないのです。
もちろん何でもかんでも「ダメ」と言ってしまっては子供のモチベーションを下げてしまうことになります。
まずは当面はしっかり勉強をさせることが先決ですから、面従腹背でも構いませんので、うまく子供と折り合いをつけてください。
ちょうど西遊記のお釈迦様と孫悟空の関係のように、掌の上で遊ばせているような感じが良いかもしれません。
受験前に家庭の方針をしっかりと確立させておく
家庭の方針がしっかりと確立している場合、そういう環境で生まれ育ってきた子供なら親と意見が食い違うこと自体が稀なのではないでしょうか。
既に幼少時から教育方針がすり込まれていますから、反抗期でもなければ、対立はないでしょう。
また「わが家は代々○○大学だ」など、やや重いミッションがある場合は、それがプレッシャーになって反抗心を作り出してしてしまうこともあり得るのですが、学力が相応で、無理のないものであれば、いさかいを起こすことは少ないはずです。
子供の意見・主張というのは平穏な状況であれば、それほど噴出するものではありません。
「いつまで経っても志望校の合格レベルに届かない」など、勉強面で不調なとき、「うまく行っていない」という感覚が強いときほど発露するように思えます。
もちろん、家庭の方針がグラついていて脆弱だと、子供も精神的に不安定になっていますから不平不満が出やすい環境にあると言えます。
中学受験で親がしてはいけない4つのこと
具体的なケーススタディとして、中学受験期間中に親がしてはいけない場面を4つご紹介します。
1.併願校の受験結果で熱望する本命校を変える
中学入試の真っただ中でよくあるのが、直前で本命校を変更するパターンです。
中学入試はまず1月中旬からの埼玉、千葉の受験を経て、2月1日から解禁になる東京と神奈川に向かうのが首都圏のオーソドックスな流れです。
まずは1月校で合格を取っておきたいのは誰もが思うことですが、ここでまさかの不合格を喫してしまったとき、親が本命校を差し替えて、偏差値を下げた安全校にしてしまうことがあります。
一概にこれがダメだということではないのですが、それまで親子で目指していた学校を受けることすら出来なくなって、子供が納得するかは甚だ疑問です。
しかも何年も後悔を引き摺る可能性すらあります。
もちろん親子で「1月がダメだったら、本命校は変更する」と当初から決めていればその限りではないのですが。
出来るだけ併願作戦を練って、少なくてもずっと目標にしてきた学校は、合否に拘らず、受けさせてあげられるようなシフトを組んであげましょう。
2.親が自分の経験値だけで受験を諦めさせる
中学受験を経験された親なら、あまりないのかもしれませんが、親が「小学生のうちから塾に行って中学受験なんて不健全だ」という古い考えから受験そのものを認めないといった例は少なくないようです。
子供の方も一時的な気まぐれから「中学受験をしたい」と言い出すこともあるので、そこは慎重に判断する必要がありますが、せっかくの学習意欲を抑え込むことや頭ごなしに受験を否定するはいかがなものでしょうか。
ちなみにスポーツでは、技術を習得するのに最適な年齢として「ゴールデンエイジ」という、10歳から12歳くらいまでの期間を意識したトレーニングが主流となっていますが、勉強でもこの時期は習得力が非常に高く、後々の学力の土台を形成するためにも大いに活用すべきという専門家の見解もあります。
3.受験情報を曖昧にしてはいけない
子供の受験自体は承認しているものの、まったく受験に興味がなく、知識を仕入れることもしない親もいます。
当然志望校の選定や模試の分析・判断もできないでしょう。
こうしたケースでは、子供の方が知識豊富で、受験事情に精通していることになります。
もちろん重要な判断は塾と相談の上で決めることになりますが、子供主導を決め込んで干渉をしないというスタンスを取ってきた場合は、むやみに付け焼刃の知識を振りかざすと、子供を混乱させる危険性があります。
あまり関心がないなら、そのスタイルを貫き通す方がよいかもしれません。
塾に行っていれば講師や友達から多くの知識が入ってきます。
親の中途半端な知識では太刀打ちできない可能性が高いのです。
ここは塾側とよく話し合いをして、ほどよいサポートをすることに徹した方が無難です。
4.学習パターンが決まっている子供には口を出さない
それから勉強のやり方についても、自分のスタイルがある程度固まっている場合には、親から口出しは無用です。
ある有名進学校に合格された子の例ですが、その子は週3日の塾通いと、さらに6年生からは土日の志望校講習が入り、相当勉強時間は積み上がっていました。
体力的にもかなりタフさを要求され、家に帰ると疲労感でとても勉強する気になれなかったそうです。
「どうせ能率が上がらないのなら」ということで思い切って「家では勉強はしない」と決め宿題や過去問は塾に居残って自習室で取り組んでいました。
しかし母親が家での様子を見て不安になり、「今日の授業の復習はやったの?」「過去問の○年分は終わった?」など、細かく勉強メニューに介入してきたのです。
子供が事情を説明しても納得できず、結局塾の先生が間に入って母親に説明をし、やっと納得。この子は見事に志望校合格を勝ち取りました。
親が塾での授業内容や子供の学習について何も知らないのに「家で勉強をまったくしない」という表層だけを見て拙速に干渉をしてしまうという良くないパターンの典型ですね。
中学受験を成功させるには子供ではなく親が主導的に立ち回るべし
親が「自主性を尊重する」と言って、子供の意見を過度に認めるのは「逃げ」なのかもしれません。
中学受験時はまだ子供は十分に幼いですから、親が主導的に立ち回って良いと思います。ただし親も子育てについて勉強をし続ける義務があります。
結局のところ、親がどこまで主導して良いかは、親の洞察力や知識量の豊富さに拠るのではないでしょうか。
ここで言う知識とは、当然「中学~大学の受験」に関する知識はもちろん、ビジネスや政治経済、自然科学、趣味や雑学等の幅広い知識が当て嵌まります。
もちろん知識だけでなく、それを使いこなせる応用力も必要ですし、そう考えていくと最終的には「総合的な人間力」というものが親には求められるのです。
そして、この人間力があればあるほど、子供を導いてく力も強いと考えてよいと思います。
もしその力が弱ければ、ある程度子供の意見および第三者の意見を取り入れることを容認せざるを得ないでしょう。
そして、「親が敷いたレールが自分に合わない」と思ったときこそが、子供の本当に自我の覚醒だと思うべきです。
親に逆らってでも自分の考えた道を行きたいと言い出したとき、まだ先の話でしょうが、そこが本当の子育てのクライマックスになるのではないでしょうか。