「なるべく偏差値の高い大学に行かせたい」こう思う親御さんは山ほどいらっしゃるでしょう。
今はもうそれほど言われなくなりましたが、「いい大学に入って、いい会社に入る」ことが一番だとされる時代もありました。
難関大学に入れば、大手企業に簡単に入る事ができたからですね。
目次
学歴よりも個性を重んじる時代へ
現在はどちらかといえば、学歴だけでなく個性を重んじる時代ですね。
やりたいことに合わせて進路を選ぶことが良いという風潮が、徐々に定着しつつあります。
とはいえ、それでも「受験」というものは往々にして白熱しています。
少子化によって大学全入時代に突入したにもかかわらず、国内21の難関大学に、全大学受験生の半分が集中しているという事態が起こっています。
つまり、大学受験をする人たちは、あえて難関大学を狙う傾向が強まっているといえるでしょう。
なぜ、全入時代であるにもかかわらず、上位校を狙うのか。
授業のレベルが高いから?教授が有名だから?ブランド力?…実は、もっと根本的に大事な理由があるのです。
授業のレベルが高いから難関大学を目指すべき?
授業のレベルが高いから難関大学を目指すべきなのでしょうか?
しかし、意外な事かもしれませんが、専攻独自の授業にさほど差はありません。
専攻授業のレベルに大学間の差はほとんどない
専攻独自の授業というのは「〇〇論」とか「〇〇法」「〇〇概説」というような名前の付いているものです。
基礎科目の授業、例えば、英語や理系であれば数学などのこれまでに学習してきたような科目の場合は、さすがに難関大にいくほどレベルが高いのはなんとなくわかると思います。
しかし、専攻の授業に関しては、難関大学だから難易度が高く、中堅大学だからといってレベルの低い授業をしているというわけではないのです(さすがに東大京大は群を抜いているかも知れませんが)。
専攻授業のレベルに差がない理由
学生たちにとっては初めて習う学問ですし、第一に大学教授に授業内容が全面的に委ねられているからです。
ある程度、この科目ではこう言ったことを教えた方が良いという指標や暗黙的な指定はあっても、中身をどんな風に構成するかはその教授次第。
スタンダードな授業をする方もいれば、自分の研究分野に偏った展開をされる方もいるのです。ですので、難関大学だからといってその学問に秀でた授業が受けられる、とは一概には言えないのです。
有名教授がいるから難関大学を目指すべき?
有名教授がいるから、難関大学を目指すべき。これは半分正解で半分不正解です。
確かに、その道に秀でたエリート教授がいるのは難関大学です。旧帝大の博士課程を出ていても、勤務校は名の通っていない大学だという教授はざらにいます。
このような中でも、国公立や難関大に勤務している教授はエリート中のエリート。高いレベルの研究成果に触れ、ゼミ生とでもなれば、その研究に参加することもできるでしょう。
有名教授=有能な指導者は絶対ではない
しかし、高い研究成果を持つ有名教授がすなわち指導力も高い、というのは別の話。
極端な話、すごい先生なんだろうけど、難しくてわかりづらいということもあるかもしれません。研究としてはすごいけど、授業は難しすぎる、これは少し残念なパターンですね。
難関大学を目指す本当の価値とは
では、多少無理をしてでも、難関大を目指す意味はどこにあるのでしょうか?
それは、そこに集まる学生にあります。
難関大学を目指す理由は「人」
人間は社会的に生きていく生き物ですので、多くの場合どこかの集団に属し、その集団の影響を多いに受けて過ごしています。
家庭のカラー、仲の良い友達のカラー、バイト先の雰囲気、いろんな所属の色に染まっています。大学もしかり、その一つですね。
上位校に行けば行くほど、熱心に勉強してきた人たちやさらに高みを目指している人たちに出会えます。
中には天才と言われるような別次元の人もいるかも知れません。単純に言ってしまえば、上位に行けば行くほど、そう言った人たちに出会う確率が高くなるのです。
レベルの高い集団に入ることが難関大学を目指す本当の価値
その人たちが作る集団は、自然とさらにレベルの高い集団となります。こう言った場所では、食堂での会話にも勉学の内容や討論が自然に聞こえてくるそう。これが、難関大学を目指す本当の価値です。
このような集団の中に入れば自然と自分もそれに染まっていくので、さらに高みを目指したり、充実感を得たりすることがたやすくなるというわけです。
ブランド力より個人の力量!そのための大学受験を
もはや大学のブランド名だけでなんとかなる時代は終わりつつあります。
大企業の入社試験でも、大学名を隠すところも出てきているのだそう。つまり、個人の能力がいかほどかが試されているのです。
とはいえやはり、いわゆる賢い人が集まるのが難関大学。自分の力を磨くために、質の良い集団に入る、これが新たな大学の価値なのではないでしょうか。